昭和21年(1946)
方面委員から民生委員へ
民生委員令により、方面委員が民生委員と呼称が改められる
昭和37年(1962)8月
4ブロックの連合組織へ
全市域を4ブロックに分け連合組織に改変し、より地域に密着した活動をすすめる組織基盤を整備
昭和62年(1987)
機関誌「みんきょう堺」を創刊
広報部会(現在は「研修・広報委員会」)が設置され、機関誌「みんきょう堺(現在はみんじれん堺)」を創刊
平成2年(1990)
6区域民児協連合体へ
企画調査部会、女性委員会部会、児童委員部会を新たに設置
平成4年(1992)12月
本市支所行政の進展と相まって6区域民児協の連合体となる
平成6年(1994)
主任児童委員制度の発足に伴い、組織内に主任児童委員会を設置
平成8年(1996)
連合会活動から支所活動中心へ
連合会活動中心から支所ごとの活動を中心に行う組織体制へと改める
平成17年(2005)
堺市・美原町との合併により7区法定民児協へ
堺市と美原町との合併にあわせ、連合会組織の中に美原町民児協が新たに加盟し、7区法定民児協
平成18年(2006)
堺市が政令指定都市へ
堺市が政令指定都市に移行したことに伴い、大阪府民児協から独立し、政令指定都市児連として活動開始
平成19年(2007)12月
中学校区単位から小学校区単位へ
主任児童委員が、各中学校区に1名から各小学校区1名に増員され、主任児童委員が各校区民生委員会の一員となる